Vol.10
もしかしたらふたりの合言葉
吉祥寺駅の公園口を出て左に行くと、横断歩道があり、対岸の左手側を見ると、そこに吉祥寺オデヲンはある。吉祥寺に古くからある映画館だ。10月の最初の日に、そこへ映画を観に出かけた。映画のニュースで『ブラックバッグ』という一見地味なタイトルを見かけ、しかしそれがソダーバーグ作品だと知った時には心が躍った。一見地味だが、これはきっと裏に何かある、と。しかもスパイ映画である。ますます、裏に何かありそうだ。というわけで、公開早々に劇場に足を運んだ。
見てみると、やはりひと味違うスパイ映画だった。大掛かりなアクションシーンはなく、全てが頭脳戦。しかも主人公の極秘任務は勤務する諜報機関内部の、つまりは身内から裏切者を見つけ出すこと。誰が嘘をついているのか、それが分かれば犯人は見つけ出せるが、誰もが嘘をついている職場で、誰もが嘘のスペシャリストである。探り合いの攻防戦は激しく、仕事を超えてプライベートに及ぶ。人間関係が思いのほか入り組んでいて驚く。二股や不倫関係にある同僚がなかなかに多いのだ。恋愛においての人間関係でこれだけあるのだから、仕事上の水面下の人間関係はさらに複雑なのだろうと想像させられる。しかしよくこれでバレないものだと思うのだが、そこは誰もが嘘のスペシャリストである。さらには、彼らには合言葉がある。それが“ブラックバッグ”、極秘任務という意味だ。極秘事項なので言えない時、彼らはこの言葉を口にする。腹を割って話す、という言葉は彼らの世界には存在しなく、仮に本心を話したところで、本心だと思ってもらえるかどうかはまた別、というところでもある。
しかし、この映画は嘘の攻防戦を見せる形で犯人を追いながら、次第に違う主題を浮かび上がらせていく。その主題が「信頼関係」であることに気付かされた時、劇場の椅子に沈み込みながら唸った。やはり裏に隠されたものがあった。
映画の中には一組の夫婦が存在する。主人公とその妻で、妻は主人公と同じ組織に属している諜報員でもある。さらに、主人公にあらかじめ渡されている〈容疑者リスト〉に上がっている人物でもある。ふたりは、お互いに「必要な嘘はつく」ことを知っている。「時には本当のことを言わない」ことも知っている。嘘の攻防戦の中で、ふたりにおいてもブラックバッグが存在し、何がふたりにとって「本当」なのか、見ていてもよく分からない。映画は、彼らの本心をそっと見せてくれたりしない。映画は観客を常に主人公と同じ目線に置いておく。映画を観ていて何にハラハラするかといえば、この夫婦がいつか壊れるのだろうか、ということにおいてである。
しかし、ふたりの関係性は壊れない。見ていると、ある独特な信頼関係がそこにあることが分かる。夫婦がある夜、お互いに「罠にはめられた」とだけ言うシーンがある。さらっと描かれるが、後々まで印象に残るのは、おそらく、ふたりが映画の中で同じ言葉を口にするのがこれだけだったからかもしれない。ふたりはお互いにその罠が何で、今の自分の状況がどんなものなのか、話したりはしない。「罠にはめられた」というのが、そもそもそれが嘘で言っているものなのかそうではないのか、観客には分からない。けれども、ふたりはそれで通じ合う。「罠にはめられた」は、もしかしたらふたりの合言葉なのかもしれない、とさえ思えた。そこには何か独特な信頼関係があるように思え、しかし、そう思えた時、ふと、信頼の形は一つではないのだなと、思いもした。そう思えたのは、こんな信頼の形もあると、映画が見せてくれたことによる。この夫婦の信頼は、お互いの、仕事においての能力(その高さ)をベースに築かれている。そのベースの上に立つと、本人がやったことか、あるいはそうと見せかけて他人がやったことなのか、判別できる。もはや職人の域にある。けれども、そこに行き着くまでには、お互いの能力を知り尽くすだけの経験と時間があったことも確かで、信頼関係を育んできた関係であることにも気付かされる。騙し合いの中に見えてくる信頼。映画には、題材と結論を丹念に叩き上げて形にする方法もあれば、まったく反対の渦の中に放り入れることで浮かび上がらせる方法もある。94分というお手本のような尺の長さで見せてくれるところは、映画の講義を受けたようでもあった。
ラストの駆け引きにはあっと驚かされ、きちんと、スパイ映画としても楽しめる作りになっている。なんとまあ。気持ちよく騙された爽快感で劇場を後にした。
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