Vol.11
明日はこの冬いちばん暖かい服装で
玄関で真冬のコートを羽織りマフラーを首に巻きながら、少しやり過ぎだろうかとふとそんな思いもよぎったが、外に出てみたらその正しさがよく分かった。「明日はこの冬いちばん暖かい服装でお出かけください」。昨夜の天気予報で予報士が三度ほどこんなフレーズを口にしていた。それもあって、昨夜のうちから真冬のコートを準備しておいた。天気予報氏が言っていたとおり、北風も強い。びゅうびゅうと音をたてながら路上を吹き抜けていく北風は、体感温度をどれくらい下げているのだろうか。それにしても、これほど強く冷たい北風も久しぶりだ。一年ぶりだろうか。
駅までの街道を歩いていたら、路上にたまった落ち葉が北風に吹かれてぐるぐると渦を巻き、渦を巻いたかと思ったら急に舞い上がった。不意の小さな嵐に思わず足を止める。まさか舞い上がるとは思わなかった。と、同時に、『暗殺の森』のワンシーン、『ミラーズ・クロッシング』のワンシーンを不意に思い出し、驚いた。
物語のすべてを覚えていなくても、忘れられないワンシーンのある映画は、記憶に残るものだ。なぜだか記憶の中に残り、時折ふと思い出す。なぜだろうか……、しかしながら、忘れていかない理由が実はよく分からない、というそんなところが、映画の魅力でもあるように思う。そんなことだから、映画が好きなのだと思う。また、映画を見る理由の一つでもあるのだろう。
小さな嵐が静まった路上を再び歩き出しながら、少し前にふと尋ねられた質問を思い出した。いつもどんな理由で映画を見るの?という、とてもシンプルな質問だった。シンプルだけれど、考えてみると答えの方はたくさんあった。撮影や構造など映画の作り方を見たくて見るときもあれば、映画の音楽に身を包まれたくて観に行くときもある。いったいぜんたいどんな映画なのか確認したくて見るときもあれば、映画を見ながらただただ考え事をしたくて観に行くときもある。足元を見ながら落ち葉の間をくねくね歩く。まだまだある。俳優の演技を見たいときもあるし、まだ一度も入ったことのない映画館を訪れてみたいという理由のときもある。
少し前に、高田馬場にある早稲田松竹という映画館に初めて行ってみた。名画座で、興味深い特集が組まれていることもよくあり、一度は訪れてみたい映画館だった。今年はちょくちょく早稲田に通っていたこともあり、ある秋の日の午後、足を踏み入れてみた。上映していたのは、ジャ・ジャンクー監督の『長江哀歌』だった。
『長江哀歌』は2007年、今から18年前に日本公開された映画だ。当時、題名の四文字の並びになんだか惹かれ、観に行こうかと思ったことだけは覚えている。今回偶然初めて見ることができたが、スクリーンで見られて良かった。今までに何度かDVDや配信で見てみようかと思ったこともあったけれど、これはスクリーンのサイズで見るべき映画であった。長江という大河がスクリーンに映し出された瞬間、見事に圧倒されてしまった。座っているのでなかったら、ちょっと一歩後退んでいたと思う。その巨大な風景に、高田馬場に居ることも一気に吹き飛んでしまい、その後映画が終わるまでずっと2006年の中国の、三峡の地に居たような気分だった。どこか畏れを感じながら、見入ってしまう。その日の午後は、偶然の早稲田松竹を入り口にして、思いがけず中国に行って帰ってきたような不思議なひとときになった。
頭上から、賑やかな声が聞こえてきた。歩道橋の階段を、小学生が降りてきている。駅まであと200mほど。その間には、学校の門もある。『長江哀歌』を思い出してみる。するとやはりまず思い浮かぶのは長江の景色だ。映画の細部はいつか忘れてしまったとしても、きっとこの映画の画は脳裏に残っていくのだろう。見たことのない風景、聞いたことのない言葉。映画を見ていて人に出会うこともある。映画を見る理由は、考えていたら、答えはまだまだある気がして、いくらでも出てくる気がしてきた。そして、意外にも気持ちが軽くなった。きっと、作る理由もたくさんあって良いのだろう、そんな気がしたのだ。
横断歩道で立ち止まる。ふと、いつか落ち葉を撮ってみたいなと思った。そのような些細な理由で始めるのもいいな、と。信号が変わり、先ほどの小学生たちが横を駆け抜けていった。
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