Vol.14
20年ぶりの
『プラダを着た悪魔2』は、20年ぶりの続編だという。ということは、前作となる『プラダを着た悪魔』を観たのはそんなに前になるのか、と驚きに近い思いを持ったのと同時に、20年生きたのかと感慨に近い思いも持った。新宿ピカデリーのエスカレーターを最上階まで上がっていく。ちょっぴり長いエスカレーターだ。エスカレーターの横はガラス窓になっていて、6月の梅雨前のよく晴れた空が見える。
5月に公開が始まった時に一度映画館に来てみたのだけれど、その時は席が埋まってしまっていて諦めた。そこから風邪をひいたり、それが長引いたり、治ったと思ったら台風に伴う低気圧のめまいに陥り、6月に体調が戻ってきたのでやっとまた、観に来ることができた。
席についてみると、隣の2席と目の前の2席がまだ空いていた。カップルが来るものと思っていたら、どちらも女友だち2人という組み合わせ。他にも女友だち3人組や母娘などの組み合わせが多く、この映画の観客層の特色がよく表れているように見えた。映画全編を彩る華やかなファッションは、見ているだけでも自然と気持ちが明るくなるし、それを着こなすミランダ、アンディ、エミリーという三人の女性たちの気質はそれぞれ笑えて、熱くなれて、そしてなんとなく古くからの友だちのようでもある。女性客が多いのは、そんな彼女たちの〈今〉や、かつての彼女たちの〈その後〉を観に来たり、気になる登場人物の映画を見に来た、そんな人が多かったからではないだろうか。
それにしても、映画の登場人物というのは、不思議なものだ。架空の人なのに、存在感は大きい。普段友だちになってもなかなかここまで一人の人物を知ることはないだろう、というところまで見せてくれるのが映画だ。生活も、考え方も見せてくれる。映画によっては、一人の人物の人生丸ごとを、見終えた時には知っているような気持ちにもなる。架空の人なのに、とても親しい人のようにも感じる。
映画を見ながら、ああこの人たちを自分は知っている、と、やっぱり思った。前作で会い、一方的にではあるが、やはりこの人たちに自分は〈出会った〉のだ。ミランダにも、アンディにも、エミリーにも。20年ぶりの続編で、キャストが揃って再度出演している、ということの凄みを肌で感じた。出演者も登場人物も、20年生きたのだ。
そして今度は、登場人物たちの新たな一面や、まだ知らなかった一面を知り、それらはまた、記憶に鮮やかに焼き付けられた。20年ぶりの続編で、最も印象に残ったのはナイジェルだった。三人の女性に寄り添う、一人の男性だ。三人の女性たちを、そしてファッションを最もよく知る、登場人物の一人。今作は、彼の考えが深く滲み出るように描かれた作品だった。ファッション、それからファッション誌という文化に対する彼の誠実な思いはミランダと同じくらい強い。彼はそれをあまり表に出す人物ではないが、滲み出る。彼の着こなしや仕草、時折見せる表情や、短いセリフのニュアンスの中に。ナイジェルのニュアンスにおける的確さは、それを演じるスタンリー・トゥッチが、互いに一部であるように思えてしまうほど確かなものに見えた。ナイジェルの台詞に、「いろいろあった」という一言があった。脚本上の一言であり、物語上の一言であるけれど、それを口にするナイジェルは、ナイジェルであり、演じるスタンリー・トゥッチでもあるように見えて、涙が出た。
映画を見終えて、最上階からまたちょっぴり長いエスカレーターを降りていく。もう20年先に、またもやの続編はあるだろうか?とふと想像してみる。まあ…ないよなあ、と思いつつも、それでも今度のようなある種の奇跡を見てしまうと、想像してみたくもなってしまった。
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