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Vol.2

 

映画は進んでいく。前ではなく、上に。


 

ふと目が覚めて窓の外を見ると、まだ高井戸駅に着いたところだった。うとうとしていたのはほんの数分だったようだ。7月に入ったら急激に暑くなり、一昨日には夜にも一度、目が覚めてしまった。そんな具合だから涼しい車内で電車の心地良い振動に揺られていると、どうしても瞼が落ちてしまう。顔を上げると、広告が目に入った。井の頭線でちょくちょく見かける、団地の広告。広告にしては少し長めの文章が書いてあり、その下に写真が一枚載っている。窓が開け放たれ、日当たりも良い、団地の一室の写真。いつも見ながら「ロケ地」に良さそうだな、と思っている。どんな物語、が良いだろう?ここに住むことになった人の物語だろうか。あるいは、ここから旅立つ人の物語だろうか。それとも…。
3階建てアパートメントのモノクロ写真にWALK UPと書かれた映画のポスターに惹かれたのは、このアパートメントでいったいどんな物語ができあがっているのだろうと興味が湧いたからだった。縦長の洒落たサイズの窓、そこにはそれぞれ女性が一人ずついて、建物の入口付近には一人の男性が立っている。WALK UPの文字の配置は階段のようであり、一部屋一部屋で何かの物語が起きそうな予感がする。
休日の昼間に、その映画を観に行った。吉祥寺駅で降り、36度という、どこか度を越した熱風に包まれるような暑さの中、通りを渡ってPARCOを目指す。PARCOに入りエスカレーターで地下2階まで下りると、青い壁のトンネルのような通路があり、そこを抜けるとカウンターや券売機がある。たまってしまっていた500円硬貨を使って入場券を買おうと思っていたのに、暑さで忘れてうっかり1000円札を使ってしまった。軽く残念な気持ちで劇場であるスクリーン5に向かうと、入口で係の人が記念品をくれた。それは映画ポスターのポストカードで、小さな幸運に気を取り直す。
映画を実際に観てみたら、予想は少し外れていた。まずアパートメントは地上4階+地下1階の5階建てだった。思ったよりも狭くて小さな、しかしかわいらしいアパートメントで、4階には屋上のようなスペースもあった。そして“物語”と呼べる“展開”はごく僅かで、食事をしながら会話をし、お酒を飲みながら会話をする、というシーンが続いていく。その間に階を、部屋を、行き来したりするのだが、映画がどこに向かおうとしているのか、よく掴めない。そのようなまま、映画は進んでいく。前ではなく、上に。
そう。前ではなく、上に。物語の“展開”はないが、話は進んでいく。ふわふわと続く会話に少し違和感を感じながら、そして置いてかれまいとしながら、しかし置いてけぼりになりそうになった頃、不意に、シーン替わりで時間がポンと飛んだ。あれ?と、僅かに背中が浮いた。まさにその時、この映画は映画として動き始めた。
同じ建物の中で、わざわざ分かりにくい時間の飛ばし方が行われ、そのことによって逆に、観ている側は映画の中で立ち止まることになる。あれ?何が起こったんだ?という風に。
後半、その時間の飛び方が、単調な映画の良きアクセントになってきて、映画は少しずつ謎めいてくる。もしかしたらこの時間の飛び方は、単なる時間の飛び越えだけではないのかもしれない。…と、そんな気がしてきて、映画からの謎かけに誘われるように、引き込まれていく。物語ではなく、映画の構造そのものに展開がある。
そして映画は、最後の数分のラストシーンでその姿をさらりと変える。映画の中の時制の仕掛けと、1軒の地上4階建てアパートメントという仕掛けが最後に組み合わさって、不意にこの映画が何であったのかが分かる。主人公が目覚めるわけでもないのに。
謎が解けて「あっ」と思って腰が僅かに浮き、数秒後にはその上品さに感心のあまり座席に沈み込んだ。映画の印象というものが、一瞬にして変わったことに驚いた。まるで魔法を見たような気分でもあった。映画にとって後味がいかに大切かを、教えてくれる映画でもある。終わってみれば、なんて洒落た映画を見たのだろうかという気分で満ちていた。  
 

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detail  
2024年7月7日 映画「WALK UP」@UPLINK吉祥寺

information
映画「WALK UP」--- 2024年6月28日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺、Strangerほか全国公開--- 公式HP(https://mimosafilms.com/hongsangsoo/)

 

 

 

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©️ Asako Hyuga